【三国志】久々の三国志

自分が三国志に出会ったのは小学生の頃です。小学校高学年くらいの人向けの小説を読んだことがきっかけです。当時は本を読むことは好きではありませんでしたが、三国志をきっかけに歴史小説を読み始め、純文学、新書、新聞など、わりと物を読むような人になっていきました。最近、子どもの読解力低下が心配されていますが、私の場合、読書のおかげで大学受験で必要とされる程度の読解力を得ることができたと思っています。きっと上の世代の方々にしてみたらまだまだなんでしょうけれども。


前置きが長くなってしまいました。三国志の話に戻らせていただくと、なぜ日本で三国志が人気になっているのか少々不思議に感じるものがあります。小説や漫画に始まり、近年はゲームでも三国志を多く見かけます。世界には数多くの国があってそれぞれの歴史があるのに、日本では三国志以上に知られている外国の歴史物語は少ないのではないでしょうか。こういった類の話も面白いのですが、考察しすぎるとすごく長くなってしまいそうなので(かといってそんなに長々と書けるほどの知識はないのですが)、このへんにしておきます。


さて、自分は三国志を小説で読んで以来、三国志に触れたのはゲームだけで、文学作品として三国志を味わったことはありませんでした。


そんななか、1週間ほど前、自宅でたまたま

宮城谷昌光先生の「三国志」見つけ、読み始めました。たしか中学生のころ購入したもののたいして読まずに本棚にそのまま入れてあったようです。懐かしさからどんどん読み進め、2日ほどで第6巻を読み終えてしまいました。(いきなり六巻から始めたのは、赤壁の戦いの部分だったので、ほんとに懐かしいなあ、と感じたからです。)


読後感として、子どものころ読んだ三国志と一味違いました。以前は、この武将は強い、こういう作戦を考えた!みたいに出来事を中心に追いかけていたのですが、現在は三国志という、日本人に親しまれている題材をどのように作品として構築するのかという点から読んでいます。宮城谷三国志は、(第6巻を読んだだけなのでなんとも言えませんが)史書に記された出来事になるべく忠実に、歴史小説家独自の心理描写を加えながら描かれています。三国志演義ではなく、歴史書としての三国志をベースとしたものであるということです。


このスタイルの三国志は一味違いました。例えば赤壁の戦いで、諸葛亮が風を起こす、とか周瑜と張り合って曹操軍から矢を手に入れるとかそういうことは描いていません。劉備側と孫権側の交流は少なく、赤壁の戦いはあくまで南下する曹操周瑜率いる呉が追い返す、という構図で描かれています。しかしながら登場人物の心理描写が、歴史の叙述を小説へと昇華させています。宮城谷さんは決して超リアル路線ではないと思いますが、少なくとも演義をベースにしたものと比べたらはるかにリアルです。


私は決してリアル路線のものが優れていて、ファンタジー色の強い作品をけなしているのではありません。むしろ、羅貫中演義に始まり、三国志という三国時代の歴史書に題材をとった作品群が存在し、様々な作者が様々な作品を生み出していく、ということに面白さを感じています。諸葛亮が風を起こそうが、周瑜諸葛亮の友情が描かれようが、劉備周瑜から無視されていようが、全て作者が読者に向けたものであり、それぞれがストーリーとして受容されているという点に魅力を感じるのです。こういった点は歴史小説の魅力でしょう。カラマーゾフの兄弟を書けるのはドストエフスキーだけですが、三国志はだれだって書くことができます。そのような点に歴史小説の面白さがあると思います。


読み進めるにあたって、宮城谷さんが人物をどのように描いていくか楽しみです。


改めて、歴史小説はキャラがフリー素材として公開されているコンテンツだと思いました。素材をどのように加工していくか、作家の腕の見せどころであり、読者のたのしみでもあります。